第四章 もうひとりの王子様…?
「えっ、今は中川さんオンリーだってば」
勢いでそういったが実際は少しドキッとした。
「いいじゃん、いいじゃん何人いてもさ。本当の王子様はどこにいるかわかんないしねぇ」
恋愛相談をしている友達に対してこんなにもラフな発言をする友達はかつてこの女が初めてだ。
「そんなんでいいの?」
私は一抹の不安を抱く。
「うん、とりあえず今は距離縮めることだね、どっちも。また教えて」
軽くまとめられて話は終わった。
電話をしたせいで気持ちが落ち着くどころか揺れてしまった。人は他人にいわれて初めて気付くというのが多いものだ。特に恋愛は。
流されやすい私は今日この瞬間から二人の王子様とのクリスマスを夢見るようになってしまった。
クリスマスまであと二週間。気合い入れて突っ走るしかないな。どうあれ今年は素敵なクリスマスにしなければ。
暖かく気持ちのいい昼下がりの午後。休日にはぴったりの天気だ。今日は久しぶりに街へ繰り出した。まずは美容室。
「今日はどんなカラーにしますか?」
「うーん。そうだなぁ、なんかクリスマスシーズンっぽい可愛い感じの色ってありますか?」
美容師に告げると、彼女は色のイメージ・カタログを見せてくれた。
「はい、それでしたらキャラメルチェリーなんていかがですか?今年から出た新色なんですよ」
赤っぽい茶色ベースにキャラメル色の艶感の入ったクリスマスらしい可愛い色だった。
私はその艶感とピンク色に近いラズベリー色のグラデーションに惚れて即答した。
「これでお願いします」
「かしこまりました。お客様お似合いだと思いますよ。それと、艶感を目立たせるためにサイドラインを少し軽めにしませんか?」
美容師は言いながら、そっと私の髪を持ち上げた。その上に、頭の中でイメージ・カタログの色を染めていく。とても可愛らしく仕上がった。
「はい。お願いします!」
今の髪型は胸くらいまでの長さで前髪は斜めに流している。色も黒に近い落ち着いた色だったが今回は少し色も明るめだし軽くしてもらって前髪は下ろせるぐらいに短く切ってもらう予定だ。
美容院にはたくさんのファッション誌が置いてあるのでこれから買い物に行こうと思っている人にとってはとてもありがたい。
街だけではなく、雑誌の中もクリスマス一色だった。“大好きな彼の心を独り占めワンピ”、“聖夜の真っ白コーディネート”などおもしろいフレーズのものがたくさんあり、興味津々で目を通した。どのページを見ても中川さんのことを思い浮かべてしまい、ウキウキして口元が緩くなった。こういう気持ちって恋をしてる女の子の特権なんだろうな、と実感した。
雑誌をめくりながらすごく幸せな気持ちになった。
「お客様、前髪はこれぐらいでよろしいでしょうか」
美容師が指で前髪の長さの線を作ってみせる。
「あっもう少し長めで」
美容師は眉毛の下くらいまで指して「これくらいはいかがですか」といった。
「それくらいで」
目にかからないギリギリのところまで切ってもらった。前髪が切り終わり時計を見ると二時間以上も経っていた。あまりにも真剣に雑誌や妄想に耽っていた自分が少し恥ずかしくなった。
鏡を見ると髪の色はキラキラと赤茶に光っていて光の具合でピンクベージュやラズベリー色に見えるグラデーションが思っていた以上に美しく心が躍った。
フラれて髪をばっさり切る子の気持ちがわかった気がする。髪だけでなく不思議と体や心までとても軽やかな気持ちになった。
「可愛いですね」
思わず口に出た。
「ありがとうございます。とてもお似合いですよ。すごく印象も変わりましたしね」
美容師も満足そうに純子の髪をいじった。
「矢口様お疲れ様でした。少し巻くとこんな感じにふわふわ感が出ますのでぜひやってみてくださいね」
「わぁっ、本当ですね、ありがとうございます」
美容師はコテで軽く巻いてくれて雑誌に出てくるようなふわふわとした髪型に仕上げてくれた。
最後にワンポイント・アドバイスをしてくれた美容師にお礼を言い残し、私は会計を済ませて美容室をあとにした。
今日の美容室はかなり高得点だったように思う。美容室やネイルサロンで満足のいくサービスを受けたことのなかった私には、というよりも、嫌な思いをさせられることの多かった私にとってこの美容室は、思いがけず嬉しい出逢いだった。
毛先のふわっとした髪を満足気にいじりながらデパートへ向かった。
その足取りは自分でも驚くほど軽やかで気持ちがよかった。
天気がよかったせいかデパートの中は人がとても多かった。
緑と赤のラインを交互に折り合うクリスマス・カラーが店内を装飾し、買い物客の心を浮かせ、財布の紐を緩くさせる。
腕を組んで歩くカップルや、子供を連れる若い夫婦、孫のプレゼントを探しているといった様子でおもちゃ売り場を散策する老父。彼らの表情は、みな、活き活きとしていた。ここにいる誰もが幸せそうな顔をし、思い思いにショッピングを楽しんでいる。
ふと私は、アクセサリーショップで指輪を選んでいる学生らしきカップルに目を留めた。
彼らの手はぎこちなく握られており、その光景は見るだけで心を温かくさせた。まるで互いの肌から伝わる体温を、その手の中に確かめ合っているようだ。
とても愛おしい。
私は思わず、中川さんの手をそっと握った。彼の手の感触に思い膨らませ、彼の放つ温もりを想像する。自然と、笑みがこぼれていた。
聖なる夜の訪れが間近にまで迫っていることを、改めて実感した。
「いらっしゃいませ」
店員がニコっと微笑み、ワンピースコーナーにいる私に今売れている品々を紹介した。
「今注目のワンピースはこれです」
店員は自信満々にワンピースを広げて見せた。
「あっそれ見ました」
純子が一番可愛いと思っていたワンピースだった。
真っ白で膝より少し上のワンピース。裾に雪の結晶や星などキラキラした刺繍が入っていて袖はふんわりとしたパフスリーブがいかにも女の子らしい。
「さすがお客様!こちらの商品本当に売れていてもう出ているだけなんですよぉ」
店員が甘い声を出して色違いを出してきた。
「赤と白なんですけど、お客様でしたら白がお似合いかと思います。色白ですしヘアカラーがピンク系なので白のほうが絶対映えますよ」
「白のワンピースなんて着たことないんですよね」
私は不安そうに言った。白は膨張色だし、なにより白のワンピースを堂々と着ることに自信がなかったのだ。
「本当ですか、もったいない。ぜひご試着だけでもしていってください」
そういって店員は強制的に試着室へ私とワンピースを招いた。この人は店長なのかもしれないと勘ぐった。
試着室で改めて着てみると可愛すぎると思っていたワンピースだったが裾の雪色と白の刺繍、胸元のジュエリーがワンピースを上品に魅せていた。確かに髪の色ともばっちり合っている。
「お客様いかがですかぁ」
カーテン越しに店員の甘い声が響いた。
「はい」
カーテンの外に出ると店員は待ち構えていたように「わぁ!やっぱりすごいお似合いじゃないですかぁ。可愛いですよ」といった。
「そうですねぇ。意外に可愛すぎないし、いいかもしれない」
「そうなんですよ。なのでこれにファーなど付けて頂いたらパーティードレスとしてもお使い頂けます」
一枚あればいろいろ使えるし買っちゃおうかな。鏡に映る自分の隣に中川さんを置いてみた。すごくお似合いだった。
「よし、買います!」
「ありがとうございます」
力が抜けたのか安心したのかわからないが店員は落ち着いた面持ちで深く頭を下げた。
「お会計が三万六千円になります」
「えっ!は、はい」
思わず声を出してしまった。コートと同じくらいの値段のワンピースだったなんて。深くお辞儀をした店員の態度が今になって分かった気がした。でも中川さんを隣に置いたらピッタリだったんだから買って損はなしのはず。ストラップシューズにしようかブーツにしようか考えながら店を出た。編みタイツもいいかもね。
両手にいっぱいの荷物を抱えてデパートを出るころには、辺りはすっかりと暗くなっていた。月明かりは薄い雲の中に隠れ、その代わりに街路樹やほとんどの建物を、キラキラと光るイルミネーションが鮮やかに彩っている。それと共に賑わう街のざわめきが気持ちを高ぶらせた。
どこかでご飯でも食べて帰ろうと思っていたのでイルミネーションを見ながら考えた。
「どこもいっぱいだなぁ」
この時期の休日に一人外で夕食なんてよく考えればカップルだらけのお台場に一人で行くようなものだった。
「矢口さん?」
『ラストクリスマス』のBGMが流れている大きなツリーの下で立ち止まっていると、その隙間からかすかに声が聞こえたので辺りを見回した。
「やっぱり矢口さんだ」
後ろを向くと走ってきたのか息を切らしている男の子が現れた。
誰だっけ…。
ニットの帽子を目深にかぶり、黒のダウンにジーパン姿の可愛い顔の男の子が立っていた。
「矢口さん、俺ですよ。印刷屋の小池です」
「あっ」
「矢口さんまた忘れちゃったんですか」
冗談っぽく顔を歪める彼に、私は慌てて首を振った。
「ち、違うの。私服見るの初めてだったから…」
彼が小池君だと気付いた途端、大好きなクール系の香りが鼻をかすめた。
いつもは童顔の彼がなんだかとても大人びて見える。
こんなにかっこよく見えるのはイルミネーションのせい?ツリーの明かりが彼の少し茶色がかった髪とぱっちりとした瞳をキラキラと輝かせていた。
私の鼓動は速さを増していた。
「矢口さんとこんなところで会えるなんて嬉しいっス」
彼は恥ずかしそうにそういった。
「あっもしかしてこれからデートですか?」
「ううん。さっきまでデパートにいて。これから一人ディナーでもしようかなって思ってたとこ。でもやっぱり一人だと入りづらい時期よね」
周りの店をもう一度見渡した。やはりいっぱいだった。
「本当ですか、もしよかったら一緒にどうですか?」
彼は頬を赤らめ、再び帽子を深くかぶった。思いがけない展開に少し動揺はしたが、なんだかとても嬉しくなった。
私は動揺を隠すように落ち着いた口調で言った。
「私はいいけど小池君こそ約束があったんじゃないの?」
「いやいや俺は全然。一人で映画見た帰りなんで。本当にいいんですか?」
小池くんはそういうことには慣れていないといった感じで、私の荷物を手に取る。
彼に、恋人やその候補と思われる女性はいないようだ。さっきから落ち着きのない様子の小池くんは、私の見慣れた彼に戻っているように思えた。それが可笑しくて、私は思わずクスクスと笑ってしまった。
「あの、なんか変っスか、俺」
「ううん、違うの。なんだか可愛いなぁって思えて」
「えっ?」
私の言葉で一層、しどろもどろとする彼の手を引いた。
「行こっか。小池くんの知っているお店、連れてって」
「はいっ!」
彼は大きく頷き、満面の笑みを浮かべていた。