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Yuri ♡Love story…

好きな人を想う愛おしい時間がここにある。とっておきのラブストーリー。

第十章 聖夜の約束

 一瞬何が起きたのかわからなかった。ドキドキが最高潮に達し放心状態になった。

 

 『電話なんかで言ってごめん』

 『ずっと前から好きだった人って…』

 

私は状況がまだよくわかっていなかった。

 『そう、純子ちゃんだよ。純子ちゃんが俺のこと気にもしてなかった頃から、そうだなちょうど一年くらい前から。ずっと好きだった』

 『本当に?』

 一年前…麻紀が言ってた小池くんの好きな子って私だったの?

 『うん。もう気付かれてるのかと思ってたけど。あっ、窓開けてみて』

 

私はすぐにカーテンを開けた。すると直樹が花束を掲げて立っていた。

 

 『うち、なんでわかったの?』

 窓の外から直樹を見下ろしながらそう言い、泣きそうになった。

 『ごめん、麻紀さんに教えてもらった』

 『私もそっち行く』

 そういって電話を切り、溢れそうな涙をこらえ鏡で顔や髪を軽く直して急いでドアを開けた。

 「メリークリスマス」

 「わぁ!」

 「びっくりさせてごめん。来ちゃった」

 ドアを開けると、直樹が大きな花束を持って立っていた。照れくさそうにその花束を渡す。

 「ありがとう!」

 大きなバラの花束に小さなメッセージカードが添えられていた。

 

 『ずっと前から好きでした。

 愛してます   直樹』

 

メッセージを見て、これは夢なのかもしれない、と思った。

 「純子ちゃん、その白いワンピース似合ってるよ。可愛い」

 直樹は無邪気な笑顔を浮かべながら私を抱きしめた。

 「直樹君…」

 直樹のさわやかな香水の香りが私を包んだ。溜めていた涙が一気に溢れ出し、彼の服をギュッと握り締めた。

 「言えてよかった」

耳元で囁く彼の袖をさらにギュッと握り締め、私は無言のまま頷いた。

 直樹の腕の力が強くなる。

 「純子ちゃんがクリスマスに告白するなんて言うから、もうダメかと思った。あの時は強がって応援するなんて言ったけど悩みすぎて飯もろくに食えなかった」

 私は小さく頷いた。直樹の胸の中は何にも変えられないくらいの安心感があった。

 「でも俺、純子ちゃんのこと誰よりも愛してるって自信あったから…」    

 直樹は体から私を離し、目を見つめた。

 「改めて言わせて。純子ちゃんのこと絶対幸せにします。だから、俺と付き合ってください」

 「うん」

 私は強く頷いて彼の胸に顔を埋めた。不思議と中川さんのことが遠い昔のことのように感じた。

 私が中川さんのことで必死になってる時、直樹は私のことをずっと思っていてくれたんだ。最近出会った人だなんて思ってたのは私だけだったんだね。私はやっと居場所を見つけた気がした。

 今、自分は世界で一番幸せな女性なのかもしれない。

 

 「あっ、もうこんな時間だ。ノッチ先輩のパーティに遅刻しちゃう。一緒に行こう」

 「やっぱり直樹君も呼ばれてたんだね」

 「うん、俺は毎年。彼女紹介できるようにがんばるって毎年言ってるくせに女の子連れてくのは今回が初めて」

 彼は照れ笑いをして手を差し伸べた。

 私が手を取ると、彼はぎゅっと握りしめてくれた。胸がトクンと波打ち、幸せな気持ちになった。

 直樹の車で麻紀とノッチの家へ向かった。車内でも手をしっかりと握り合っていてくれた。

 

 「いらっしゃい!待ってたよ、二人とも」

 麻紀が玄関で出迎えてくれた。ニヤつく麻紀の視線は、握った私たちの手に向けられている。

 「純子、だから言ったでしょ?」

 麻紀はピースをして私にそういった。

 「麻紀…」

 私もピースをして強く頷いた。

 

 部屋に上がるとすでにパーティは始まっていた。私たちが入ると、マライヤ・キャリーの『恋人たちのクリスマス』が流れ出し、心がパーッと明るくなった。

 ノッチが仕掛けたに違いない。彼は私たちを見るなり、わざとらしく直樹の肩に腕を回した。

 「おおーっ直樹、お前やっと来たな!」

 ノッチは嬉しそうな顔で直樹の隣にいる私に視線を向ける。

 「純子ちゃん、こいつマジでいい奴だからさ。よろしくな」

 「うん、ノッチいろいろありがとね。ノッチの後輩大切にします」

 私は流してくれたBGMのお礼を悪戯っぽく言い、こちらこそ。と頭を下げた。

 「わかってんねぇ!」

 ノッチは上機嫌になり、直樹の肩を叩きながら笑った。

 私たちも顔を見合わせて笑った。

 『私をしっかりと抱いて離さないあなただけ 他に何があるの?私がクリスマスに欲しいのはあなただけ…』

 BGMがちょうど終盤に差し掛かり、私の一番好きな歌詞の部分に差し掛かり、思わず口ずさんだ。

 みんなが立ち上がって拍手をくれた。こんなに祝福されたのは初めてで、心底嬉しかった。

 先輩たちは口々に直樹をからかい、彼はすぐにビールを飲まされていた。

 私もシャンパンをもらい、麻紀とバルコニーへ出た。

 「直樹君のこと、本当に気付いてなかったんだね」

 麻紀は嬉しそうに言う。

 「気付かないよぉ、まったく麻紀もひどいよ」

 「あははっ。私も隠しておくのかなり大変だったんだからぁ。直樹君にかなり口止めされててさ」

 麻紀はシャンパンを一口飲んで続けた。

 「絶対内緒ですよ!なんていつも言われてねっ。可愛いでしょ?」

 麻紀は、反応を楽しむように横目で私を見て言った。

 「あははっ。可愛い。直樹君にまで見放されたと思ってたからさ、かなり衝撃的だったよ。今笑っていられるのが嘘みたい」

 私は直樹の可愛い笑顔を思い出し、終始口元が緩んでいた。

 「私も今日はどうなるのか心配だったわよぉ。まぁ、あんたも直樹君のこと好きになるとは思ってたけど」

 麻紀は冬空にキラキラと輝く星を見つめ、女の勘よ、と言った。

 「さすが麻紀だわ」

 私も星に目を向ける。久しぶりに見た星は聖夜の夜を演出するかのように美しく輝いていた。

 「それに、直樹君はあんたを裏切ったりしないから大丈夫。あの子の愛は本物だから」

 麻紀はそう言い、入ろうか、と言った。胸がいっぱいになり、また幸せな気持ちが湧き出てきた。

 

 部屋に入ると、ノッチが駆け寄ってきて、麻紀の肩に手を回した。

  「はい、みんな聞いてください!」

 ノッチはずいぶん飲んだようで顔が真っ赤になっていた。

 「実は俺ら結婚します!」

 「えっ!」

 みんなが一斉に驚いた。私もシャンパンを吹き出しそうになった。

 「結婚式は夏の予定。みんなよろしく!」

 ノッチは明るくそう言い、麻紀の体をギュッと引き寄せた。自慢の腕の筋肉が男らしさを強調した。最高にかっこよく見えた。

 麻紀は恥ずかしそうに頭を下げた。すごく幸せそうな顔をしていて、私も嬉しくなり、涙ぐんでしまった。

そして、麻紀はすぐさま私のところへ駆け寄り、興奮冷めやらぬ様子で「ごめんね、急に」と私の手を握った。

「今日の昼間、言われたんだよね。私もびっくりよ、急すぎて。そういうのもあって純子には絶対今日、来て欲しかったの。ノッチって本当勝手なんだから」

 麻紀はそう言いながらノッチの方を見て微笑んだ。

 「おめでとう。私まで幸せな気持ちだよ、本当によかったね」

 「ありがとう」

 こんなに幸せなイブになるとは思っても見なかった。神様ってちゃんと見てるんだろうな。なんて考えてしまうくらいの素敵な夜。

 

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 「純子ちゃん、外出ようか」

 直樹が声を掛けると、麻紀が視線だけで「行ってきな」と笑顔で伝えてくれた。

直樹に連れられて外に出た。冷たい風が心地好く撫でていく。直樹はズボンのポケットに手を突っ込み、夜空を見上げながら歩いていた。

 冷たい風が二人の火照った体を冷ましてくれている。

 「ノッチ先輩ってすごいよな。やっぱり俺、尊敬するよ」

 「ねぇ。ノッチらしいよ、ああいうの。でも幸せそうで本当よかった」

 「そうだね」

 少し歩くとキラキラと輝くイルミネーションが見えてきた。キラキラと光る家並みに目を奪われながら歩いていくと、大人しく光を放している公園のもみの木を見つけた。

 「きれいだね」

 「うん」

 二人は公園のベンチに腰を下ろした。決して派手ではないけれど、オレンジ色の控えめなライトが優しく二人を照らした。

 「ねぇ、純子って呼んでいい?」

 直樹がおもむろに口を開く。

 「もちろん。私もちゃんと直樹って呼ぶからね」

 こんな高校生みたいな会話が妙に新鮮で照れくさくなった。直樹が私を見る。視線がぶつかると恥ずかしくて、下を向いた。

 ベンチに座ってからもぎゅっと握られた手が二人のぬくもりを体中に伝えた。

 「直樹といると安心する」

 直樹の肩に寄りかかり、目を瞑った。このまま二人でどこかへ行ってしまいたい、そんな気持ちになった。

 「そんなふうにいってもらえるなんて夢みたいだよ」

 直樹の腕が肩に回る。

 「大げさだよー…」

 彼の腕にぎゅっと力が入り、唇が触れた。すごく温かかった。

 「ずっと見てた。勇気出してよかったよ。俺とずっと一緒にいて」

 「うん」

 愛されるということはこんなに温かいことなんだということを感じた。

 胸の中が何かでいっぱいになり、体の中がすごく気持ちよくなるような…。そんな気持ちになり、この人がいれば何もいらない、と思えた。

 この幸せな夜を一生忘れない。

 

 聖夜の夜、愛を確かめ合いながら唇を重ねる二人。

 澄んだ冬の夜空に輝く幾千もの星と、キラキラ輝くクリスマスの特別な光たちが祝福した。

 

 来年も、再来年も、ずっと、私を離さないでね。

 ―――約束だよ。

 

 ハッピーメリークリスマス。

 

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第九章 イヴの奇跡

『留守番電話サービスに接続いたします』

 

無機質な女性の声が、受話器の奥で響いている。これでもう、彼女の声を聞くのは三度目だ。家に着くなり私は、直樹に電話をしていた。靴も脱がず、カバンも手に持ったまま。

どうしても直樹の声が聞きたかった私は、ほとんど無意識のまま、続けて三度もかけてしまった。

「そっか、そうよね」

彼が忙しくて電話に出られないことくらい分かっている。しかし今の私には、避けられているのかもしれない、そんなくだらない不安だけが襲ってきた。

ようやく靴を脱ぎ、着替えを済ませた私はベッドに横たわった。

もう、何も考えないでおこう。考えたって落ち込んでいくばかりだ。

そう思っていた矢先、私の携帯にメールが届けられた。

 

『今日はありがとう。本当に、ごめんね。 中川』

 

枯れたとばかり思っていた涙が、再び波のように押し寄せてくる。堪らず携帯を叩きつけ、私は服を脱いだ。浴室へと向かい、シャワーの蛇口を目一杯に開く。

「なんで、なんでよ! どうして『ありがとう』なんて…『ごめんね』なんて言えるのよ!」

冷たい水を噴き出すシャワーの音に紛らわせ、私はお腹の底から叫んだ。ごめんねも、ありがとうも、今の私には残酷すぎる言葉だ。そんなことを言って欲しくて彼女の名刺を、約束を彼に渡したんじゃないのに…。

悲しさとイライラでどうしようもない気持ちになった。なぜこんな思いをしなくてはいけないのだろう。私はその場に崩れ落ち、何度も「なんで」を叫び続けていた。

冷たい水が、私の興奮を冷ましてくれるまで、ずっと。

 このメールは彼への気持ちを諦めなければいけないというメッセージであった。

 シャワーから出て鏡を見ると泣きすぎたせいで目が腫れていた。

「こんなに泣いたっけ…」

 瞼が重くなって目を閉じた。瞼に触れると熱く火照ってじんじんしていた。

中川さんと初めて交わしたときの挨拶、おしゃれなネクタイ、笑ったときにくしゃっとなる優しい目、いつも私を心地よく酔わせていたバニラのような甘い匂い。

そして食事を共にした幸せな時間。それは走馬灯のように途切れることなく頭の中を埋め尽くした。

 中川さんのために買った白いワンピースも無駄になった。髪の色、クリスマスっぽい色にして下さい、なんて言わなきゃよかった。いつも舞い上がりすぎなのよ…。いつもこうやって惨めな思いをする。今回こそは…なんて考えてみれば毎回同じセリフ。自分の今までを振り返って益々辛くなった。何より、必死になって夢を見ていた自分がバカみたいで笑えてきた。

 鏡に映る自分に笑いかけた。上手に笑えなかった。

 明日は最悪な週末になりそうだ。

 

 

 携帯の音で目が覚めた。急いで携帯を開くと知らない番号からだった。

 もしかして、と思ってしまった自分に深くヘコみ、目覚めの悪い朝になってしまった。時計を見ると昼の一時を回っていた。

 寝すぎてしまったせいで体がダルく重い感じだった。それでも、昨晩たくさん泣いたせいか頭はすっきりしていた。

 テレビをつけ、ソファーの上で伸びをしながら今日は着替えなくてもいい日にしようと決めた。

 昼のドラマやワイドショーはクリスマスの話で持ちきりだった。ドラマを見ると悲しくなりそうだったので仕方なくワイドショーにした。

 お腹が空いたので、冷蔵庫にあったプリンと昨日買っておいたパンと粉スープとをソファーに運び込み、静かにテレビに目を遣った。

 こんなとき、犬でも飼っていれば淋しさが紛れてたかもしれないのになぁ。いや、そんなの犬も迷惑か。

 昼のワイドショーとは不思議なものでただ見ているだけでものすごい勢いで時間が過ぎていく。

 

 気付くと時計の針は夕方の五時を指そうとしていた。

 麻紀にメールをしようとして携帯を開いた。すると、ちょうど麻紀から電話が来た。

 『もしもし純子、大丈夫?』

 『あれ?私なんか言ったっけ?』

 『昨日夜中にメールきてたけど』

 何言ってんのよ。と麻紀がびっくりして言う。

 『マジで!無意識だった、ごめん。文章おかしかったでしょ?』

 昨日の夜中無意識にメールをしていたようだった。昨夜はとことん落ちていたから覚えていないのも仕方ない。

 『あはは。かなりドライなメールだったからびっくりしたくらい。こんなにうまく嫌な予感が当たっちゃうなんてね。でもさ、そういう男だったってことじゃない、もし純子が付き合えたとしても忘れられてない女がいるって事は自分だけを見てくれてないってことと同じなんだから』

私の声が想像していたほどには沈んでいなかったことに安心したのか、麻紀は豪快に笑っていた。その笑い声が、私の傷をそっと癒してくれる。

 『そうだよね。なんかもうクリスマスまでに、とかそういうのやめるわ。バカみたいだよ』

 『そんなことないよ、あんたにはまだいい男が現れてないだけ。ていうかクリスマスはまだ始まってないしね』

優しさを帯びた声で麻紀は続けた。

 『今日暇でしょ?うちでやるパーティー純子も来なよ。中川さんのことがあったから誘ってなかっただけで本当は来て欲しかったのよ』

 『でも…』

 『ずっと家にいたら忘れたいものも忘れられないって!ねっ。』

 『うぅん、そうだよね』

 私は鏡に映し出された今の自分の顔を見て、やる気ないなぁ、コイツ。と心の中で呟いた。

 『八時くらいから始めるみたいだからその前にはよろしくね』

 麻紀は明るい声でそう言い、『あっ、こないだ買ったっていってたワンピース、着て来てね』と付け足した。

 『うん、いろいろありがとう。じゃあ後でね』

 麻紀のくれた喝に心から感謝をし、私は電話を切り、支度を始めた。 

 すでにワイドショーは終わっていて夕方のニュースが始まろうとしていた。

 よし、今日はいっぱい飲んで楽しもう。

 ノッチの友達が集まるパーティは毎年開かれていたが行くのは初めてだった。そういえばかっこいい人もいっぱい来るとかいってたなぁ。

 そんなことを考えながらソファーから立ち上がり、ワンピースに着替えようとしたとき、ヒヤッとした。

 「まさか…」

 ノッチの友達…まさか直樹はいないよね。もし好きな子と来てたらどうしよう…。あんなに電話もしてしまったし。

 直樹のことを考えると少し行くのが気まずくなった。

 いや、もう嫌な予想をするのはやめよう。

 考え出すと止まらなくなりそうだったので急いでワンピースに着替え、

アクセサリーを探した。

 シルバーよりもピンクゴールドの方が合うかな。私はピンクゴールドのハート型ネックレスに、純白パールのピアスを付けた。

 改めて鏡の前に立つと気持ちが明るくなった気がした。買ってよかったと思えた。アイシャドーはパールピンクとシルバーホワイトでキラキラに仕上げ、髪型は飾りすぎず、軽く巻くだけにした。

 そんなことをしながら時計を見ると六時を過ぎていた。もうこんな時間か。

 『七時には出られるよ』

 麻紀にメールを入れて、携帯をバックの中にしまった。

 仕上げのマスカラを塗ろうと化粧台に座ると、携帯が鳴った。麻紀からの返事だと思ってマスカラを手に持ったまま携帯を無造作に開いた。

 画面を見た瞬間、マスカラが手から落ちてドキリと心臓が大きく波打った。直樹からの電話だった。

 『も、もしもし』

 急いで出たので声が裏返った。

 『純子ちゃん?帰ってきたよ』

 直樹の優しい声が胸をキューっと締め付けた。

 『おかえり』

 『電話くれてたみたいだね。出られなくてごめん、ずっとホテルに携帯置いたままにしててさ。朝知らない番号から電話きてたでしょ?あれ俺なんだ』

 『えっ、そうだったの!』

 目覚めの悪い朝になってしまった原因の電話番号を思い出した。

 『うん、我慢できなくて会社の人に携帯借りて電話しちゃった』

 直樹のニカッと笑う顔が脳裏に浮かんだ。我慢できなくて…の意味が分からなかった。

 『え?』

 『まだわかんない?』

 直樹の声がどこか男らしくなり、真面目な表情が覗えた。

 『何?今日はずっと前から好きだった子に告白するんでしょ、その子に電話すればいいじゃない』

 この間のひどく落ち込んだ直樹との電話を思い出して、なによっ。という気持ちになった。

 『うん、告白するよ。その子が予定あるの知っててもどんな形でも』

 『じゃあ、なん…』

 『好きだよ』

 

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第八章 偶然が引き起こした彼の選択

 目が覚めると夜の十一時を過ぎていた。

 

 会社が終わって足早に帰り、そのまま寝てしまっていたのだ。

 化粧も落とさず服もそのままだった。スカートがクシャクシャになっていたのに気付き、起き上がって服を脱いだ。

 そして、下着のまま冷蔵庫に冷たいミネラルウォーターを取りにいった。のどが異常に渇いていた。

 「おいしい」

 冷たい水が体の中の悩みを流してくれるように感じた。

 少しすっきりした気分になり、テレビをつけようとリモコンに手をかけたとき携帯が鳴った。

 「もしもし」

 「もしもし、直樹です」

 「は、はい」

 びっくりして携帯を持ち替えた。

 「夜遅くにごめん。今大丈夫だった?」

 「うん。どうしたの?」

 「いや、ちょっと話したくて。電話するの初めてだね」

 緊張が声に伝わっていた。

 「そうだね。びっくりした」

 沈黙が流れる。初めての電話というのは必ず沈黙があるものだ。

 「あのさ、純子ちゃんって好きな人いるの?」

 唐突な質問に戸惑った。私は中川さんという好きな人がいる。今まで直樹に話すのはなんだか気が引けたけど、彼もずっと前から好きな人がいるとはっきり言っていた。何かを期待していた彼への気持ちが恥ずかしくなったばっかりだ。堂々と言ってやる。

 「いるよ」

 「そっか、会社の人?」

 「そう、会社の上司なの」

 わざと淡々と話した。自分にはいい関係の上司がいると。

 「そうなんだ。告白はした?」

 直樹も妙に落ち着いた口調になった。

 「うん、イブに会う予定だからそのときにって思ってるよ」

 「偶然だね、俺もクリスマスに告白するんだ」

 少しの沈黙の後、彼は元気よくそういった。

 少し落ち込んだ。私は直樹のことが本当に気になっていたのかもしれないと今さら気付いた。中川さんという大好きな人がいる中で、直樹という存在は中川さんに負けないくらい大きくなっていたことを今さらになってヒシヒシと感じた。目をつぶり、この思いを伝えようか迷った。

  しかし黙っていた私に彼はこういった。

 「お互い頑張らなきゃね、応援するよ」

 不意に頬を叩かれたような気持ちだった。あの日、二人で笑い合った夜はなんだったの?淋しさが急に襲って来て、涙が込み上げてきた。

 「うん、私も応援するね。じゃあ」

 私は小さく返事をして電話を切った。電話をベッドの上に放り投げた。

ベッドに横たわると涙がツーっと頬を伝った。

 すると、すぐにメールがきた。

 『夜遅くにごめん。話せてよかった。

俺、明日から名古屋の会社に挨拶しにいってきます。クリスマスには帰ってくるんだけど。純子ちゃん頑張れ!』

 いつもの可愛いはずの顔文字がすごく切なくて悲しかった。

 私は一気に二人からフラれたような、そんな気分になっていた。

 

 

 「あの、すいません」

 夕方のレジ処理をしていたときだった。黒いパンツスーツを着た綺麗な女が急いだ様子で話しかけてきた。

 「いらっしゃいませ」

 「あの、中川…中川晃司は、こちらにおりますか?」

 名前を聞いた瞬間、息を飲んだ。嫌な予感がした。

 「あいにく中川は出張で新潟に行っておりますが」

 なるべく手短に答え、彼女の様子を伺った。

 「そうですか」

 女は肩を落としてそう言い、バックの中から一枚の紙と名刺を取り出し、私に差し出した。

 「これ渡しておいてもらえますか?」

 私はそれを手に取り、すぐに名刺を見た。嫌な予感は外れることもなく『金村愛子』とはっきりと書いてあった。

 「すいませんが、お願いします」

 女はそういって頭を下げ、後ろを向き、足早に歩いていった。キツイ香水の匂いだけが強く残った。

 しばらく放心状態で名刺と一枚の紙を見つめた。

なぜこんな偶然が起きてしまうのだろう。必然とはこういうことなのだろうか。あのとき、かかってきていた電話で日本に来ることを伝えたかったに違いない。

 たまたまこのレジにいた私があのとき、中川さんの腕に寄り添っていた女で、中川さんのことを愛してるとは思ってもみないだろう。

 アドレスに入っている『ai』は愛子の『ai』。『kn』は金村の『kn』。

 ぴったり当てはまった。イライラするほどに。

 そして私は一枚の紙を開いた。開いてしまった…。

 『晃司へ 二十日、日本に帰ってきました。仕事がやっとまとまったの。しばらくはこっちにいるつもりです。離れてみて思ったの。やっぱりあなたしかいないわ、クリスマスいつもの場所で待ってます。  愛子』

 見てもいいことはないことはわかっていた。出来ることなら破り捨てたい。この手紙を渡さなければ中川さんはこの事実を知ることなく私とイブを過ごすはずだ。

 イブの約束はもともと私の方が先だったし…。

 なんて、考えれば考えるほど悲しくなった。悲しさと同時に虚しさが襲ってきた。

 一年もの間、何度も中川さんとの夢を見て、会社で会うたび嬉しくって心が躍り特別な存在だった。

 中川さんに恋したあの誕生日の日、いつも私を元気付けてくれた大好きな笑顔、甘いバニラの匂い。

 そして…彼の腕に支えられながら見たあの夜の一瞬の夢。

 やっと夢が叶いそうだった。

 大事に育ててきたこの気持ちを一瞬で、たまたま会った、絶対勝つことのできない女に壊された。

 ほらまた、私はいつもそうだ。

 もしかして、なんて期待した私がバカだっただけの話。

 嫌なことはとことん続くのよ、そう思ったら少し笑えた。

 明日は中川さんが帰ってくる。

 

 

 『おかえりなさい。昼休み会議室Aで待ってます』

 『ただいま。新潟は寒かったよ。昼休み会えるの楽しみにしてる』

 メールの返事はすぐに返ってきた。

 本当だったら帰ってきたことが嬉しくて、明日の予定とか二人で話し合って楽しい昼休みになるはずだったのに。

 溜め息がもれる。

 中川さんはこれを渡してどんな顔をするのだろう。

 私がどんな気持ちでこのメールを送ったかなんてわかるはずないよね、メールを打ちながら指が少し震えて中川さんに会うのが怖くなった。

 「矢口さん、これお昼までに頼むわね」

 主任が会議に持っていく資料の制作を机上に置いた。ちらっ視線を上げると上目遣いで腕を組んでいた。

 忙しくてイライラしてるのよ、と訴えていた。私はなるべく刺激しないように丁寧な返事をした。

 「はい。昼までには必ず仕上げます」

 黒いスーツを着ている主任の顔があの女と被ってすぐに目を逸らした。

 あのキツイ香水の匂いがしなかったことが救いだった。

 資料は五十人分もあった。新作の下着についてのものだったので目を通しながら資料をまとめた。

 春に合うパステルカラーのものがとても多かった。

 クリスマスが終わればお正月が来て、年が明けたと思ったらバレンタイン。そしてすぐに三月。

 この時期が来ると一年って早いな。と必ず思う。

 春に失恋するより冬に失恋した方が立ち直れそうな気がするのはなぜだろう。

 そんなことを思いながら時計を見るとあと十分で昼休みの時間だった。

 急に胸がドキドキしてきた。もう後戻りはできない。

 私は小さく深呼吸をして気持ちを落ち着かせた。

 

  ガチャ。

 ドアを開けると会議に合わせ机が整然と並べられたその空間は、しんと静まり返っていた。扉を後ろ手に閉め、部屋の中央付近まで足を寄せる。

なんとなく胸を撫で下ろしていたのも束の間、背後で扉の開く気配を感じた私はビクリと驚き、身構えて後ろを振り返った。

 「お待たせ。ごめんね、少し仕事が延びちゃって…待たせちゃったかな」

走って向かってきてくれたのか、中川さんの息は少し乱れていた。

 「いえ、私もさっき来たところなんで」

 「そっか、よかった」

 そう言いながらドアを閉めてこっちへ向かってくる。だんだん甘い匂いが鼻をかすめ、私が忘れようとしていた感情を呼び覚ましていく。

 目の前に来た彼を見て、やっぱり好きだ、と思った。

 「あ、あの」

 うまく言葉が出てこなかった。

 「ん?」

 窓の光が彼の顔を照らしていて笑顔が眩しかった。手に汗をかいていることに気付き、無理やり言葉を出した。

 「あの、昨日…」

 彼の視線が私の緊張と熱をどんどん上げた。

 「昨日、愛子さんっていう人が来ました」

 緊張しすぎてもうどうでもよくなり勢いに任せてメモと名刺を渡した。

 「え?」

 彼はそれを受け取り、中を見るなりびっくりした顔をした。

 言葉が出ないという感じだったので私が先に口を開いた。もうどうでもよかった。

 「元カノってこの人ですよね、凄く綺麗な人ですね。びっくりしちゃった、私にこんな大事なもの渡すなんて」

 私は首をすくめて笑った。

 「矢口さん…」

 彼は真面目でいてどこか情けない顔をして私を見た。

 「いいんです、明日、行ってください。中川さんも愛子さんのことまだ好きなんでしょう」

 目頭が熱くなっている自分を必死に抑え、精一杯の言葉を並べた。もちろん、行かないで。なんて言えるほどの自信や勇気は今の私に持ち合わせているはずはなかった。何より、そんなことを言ってしまったら自分がもっと惨めになるということを誰より自分がよく分かっていた。

 彼は困ったような顔をして視線を落とし、ゆっくり頷いた。

 失恋した瞬間だった。

 あんなに頼りなくて情けない顔は見たくなかった。私の愛していた中川さんの姿はもうそこにはいなかった。

 どうしようもない気持ちになり、今にも溢れ出しそうな涙をこらえて自分から別れを告げた。

 「じゃあ、失礼します。いろいろありがとうございました。がんばってくださいね、お幸せに」

 会議室を出た。『お幸せに』だなんて少しも思ってない、なんて皮肉っぽい言葉なのだろうか。いや、これぐらいの嫌味はかわいいもんだ。脳裏に黒いスーツを美しく着こなした女の姿が浮かんだ。同時にあのキツイ香水の匂いを思い出し、吐き気がした。私は昔からあの匂い大嫌いだった。あの女がこの世で一番憎い、そう思うくらい罰は当たらないだろう。

 ぽろぽろ涙が落ちるとはこういうことかと思うほどに涙が止まらなかった。分かってはいたがやっぱり辛かった。

 これで終わった。恋も夢も努力も。

 どんなに自分が愛していたとしても相手には関係のないこと。一年越しで想っていたのに、なんてことはどうでもいい。終わりは一瞬なのだ。それが恋であり、恋愛である。

 こんなに愛しているのになんで答えてくれないの?そんな疑問符は、無駄にすぎない。悲観的になって相手を責めてもいいことがないことぐらい経験済みだ。そんなこと言えるはずもなかった。

 「好き」ということさえ伝えられなかったのだから。

 屋上に上がった。空は悪気もなく青く澄んでいた。

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第七章 イヴの憂鬱

ステーキを食べている手が止まる。視線がこっちに向けられた。

 「クリスマス?今年は特に考えてないな」

 「本当ですか!」

 私の声は思わず上擦っていた。

 「うん。矢口さんはどこか行くの?」

 「いや、あの…もし、ご予定がなかったらその日…空けておいて頂けたりしますか?」

 何を言ってるんだろう…緊張して声が完全に裏返った。

 「いいよ。でも俺なんかでいいの?」

 中川さんはそういって悪戯っぽく笑った。何かを勝ち取ったような気持ちになった。

 「え!ほんとですか?!あ、ありがとうございます」

 嬉しくて口元が緩みっぱなしだった。こんなにすんなり返事をしてくれるなんて思っていなかった。私は頬が熱くなっているのを気付かれないように下を向いた。

 「じゃあ、横浜あたり行こうか」

 中川さんがワインを飲みながらまるでこの約束がずっと前から決まってたみたいに言った。

 横浜…今、横浜って言った?私は一瞬心臓が止まったような感覚になった。横浜は私の中で一番特別な理想の場所だったのだ。     

 まさか横浜を出してくるとは…頭の中に妄想が広がる。

 山下公園で愛を確かめ合うカップルを思い出し、そこに自分を当てはめた。笑顔がこぼれた。

 そして、胸がいっぱいになり叫びたい感情に駆られた。

 目をつぶり、ワインを一気に飲み干した。

 

 「大丈夫?顔赤いよ」

私の顔を覗き込み、中川さんは不安そうな表情を浮かべていた。

 「すいません、飲みすぎちゃいましたね。このワインおいしくって」

 私の頭の中がこんなにも興奮しているとはさすがの彼も分からないだろう。ワインの酔いと興奮したのが手伝って体中が尋常じゃないくらい火照っていた。

 「喜んでもらえてよかった。大丈夫、今日は送っていくから」

 頭がぼんやりする。五杯も飲んでしまった。

 「そんな、大丈夫です!」

 そう言って立ち上がってはみたが、足元がフラフラして覚束ない。

 「いやいや心配だから送らせてよ、ね」

 「すいません。それじゃあ、お言葉に甘えて」

 私はフラフラする足元に気をつけながら中川さんの腕を掴んでいた。彼は黙って私を支えてくれた。

 中川さんの甘い香りを吸い込んでさらに頭がふわふわした。

 体中が火照って気持ちよくなった。何もかもどうでもよくなるくらい気持ちのいい気分だった。

中川さんに肩を支えられながら店の外へ出ると、心地好く冷たい風が火照った身体を撫でていく。

タクシーを捕まえると、私たちは後部座席に腰を下ろした。

彼の肩にもたれかかり、車の振動に揺られていると睡魔が襲ってくる。時折、対向車のヘッドライトが私たちを照らし、その度に私は目を細めた。次第に目を開けている時間よりも、閉じている時間のほうが増えていく。

ゆっくりと流れる時間の中、私の呼吸は一定のリズムで刻み、小さな寝息を立てていた。

 腕に寄りかかりながらタクシーに乗ってしばらくすると、中川さんの携帯が鳴った。

 うっすら目を明けてみた。着信画面に『愛子』という名前が映し出されていた。

 目を疑った。

 中川さんはしばらく画面を見つめそっとポケットに携帯をしまった。

 大好きな人の腕に寄りかかっている夢の時間。一瞬で醒めてしまった。

 「中川さん」

 思わず声が出た。

 「ん、起きた?」

 何もなかったかのように優しい口調だった。

 「あの…」

 言いかけて我に返った。この話をして今日一日の幸せな気持ちを崩すのはもったいないと思った。

 本当は今すぐ聞いて確かめたかった。しかし聞くのが怖かった。

 「いえ、なんでもないです。あっうちこの辺なので」

 「そこ右にはいってください」

 タクシーの運転手にそういった。

 「本当に大丈夫?」

 「はい、ありがとうございました」

 「こちらこそ、楽しかったよ。それじゃあ、おやすみ」

 「おやすみなさい」

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 家についてベッドの上に倒れこんだ。心臓がドクドク波打つ。今日はずいぶん飲んでしまった。目をつぶって今日を振り返った。

 『ai』という女は『愛子』という名前に違いない。見てしまった、出るか迷って切ない顔をしていた彼の姿を。

 まだ何も聞いていないし、私の思い込みかもしれない。だけど…。

 悩めば悩むほど、不安が押し寄せてきた。せっかくクリスマスの約束を取り付けたというのに、私の夢がようやく叶ったというのに、素直に喜ぶことができない。

私は首を振ってベッドから起き上がった。

「私の思い込みだよ、きっと」

 自分自身に言い聞かせるように、私は今日クリスマスの約束が無事に出来たのだ。と心の中で何度も繰り返した。

 しかし、そう考えれば考えるほど不安がまた、押し寄せて来る。頭の中がモヤモヤしてすっきりしない。

 だんだん頭が痛くなってきたので薬を飲んだ。

 布団を深くかぶり固く目を閉じた。

 

 

 こんなに気分が悪いのは久しぶりだった。悲しいとか苦しいとかそういうんじゃなくて、頭の先からつま先までダルイ感じが続いていた。

 「おはようございます。あの、この前の資料なんですけど」

 向かいの席の後輩だった。

 「あっはいはい」

 「すいません遅くなっちゃって。最近彼が毎日来ていて中々時間なかったんですよね」

 照れ笑いを浮かべながら彼女は話した。いつもなら笑顔で流していたが今日は無性に腹が立った。

 「そんなのどうでもいいからなるべく早く提出して」

 そう言い放って席に着いた。後輩は不満げな顔をして席に戻った。

 パソコンを開くと三通のメールが来ていた。部長の配信メール、店のお知らせ、そして中川さんだった。

 二つのメールを無視して中川さんのメールを開いた。

 『ディナー楽しかったよ。ありがとう。あれから大丈夫だったかな?実は今日から二十三日まで出張で新潟に行ってきます。仕事がんばってね』

 読んでからしばらく放心状態になった。

 なぜ携帯にメールを返してくれなかったのか。なぜ出張に行くことを教えてくれなかったのか。

 わかっていることはただ一つ、彼が帰ってくる間の三日間私は悩み続けるということだった。

私は溜め息を吐き、机の上に突っ伏していた。

 

売り場に回された私は、ちゃんと笑えているのだろうか。そんな不安を抱えながら、私は金持ち風のおばさん客に人気商品を勧めていた。

 「いらっしゃいませ。このブラジャー付け心地がよくてすごく人気ですよ」

 笑えているか不安になった。

 「あらそう?じゃあこれ三色いただこうかしら」

 いかにもお金持ちそうなおばさんだった。荷物をいっぱい抱えていて幸せそうだった。

 「ありがとうございます」

 精一杯笑顔を作って接客をした。モヤモヤした気持ちは昨日にも増して渦巻いていた。

 「お疲れさん」

 お客さんを送り出したすぐあとに麻紀が来た。

 「あっお疲れ、麻紀今日休みだと思った」

 「そのはずだったんだけどね、人手が足りないとか言われてさ。来させられた。本当ムカつく」

 「テンション低いのはそのせいか」

 麻紀はイライラしながらタイムカードを押した。

 「そういうあんたも元気ないけど」

 「まぁね。やっぱり私ってうまくいかないのかな」

 中川さんとのことを話そうか迷った。

 「何があったのよ」

 麻紀は何かを察したように言った。

 「ううん、たいしたことないんだけど。実際に何も起きてないのにただ悩んでるだけ」

 麻紀は少し黙ってこう言った。

 「そう、ていうか純子の恋愛癖だよそれ」

 そして、あえて何も聞かないでいてくれた。

 恋愛癖か…。何かされたわけでもないのにウジウジ悩んでしまうのは自分の勝手な思い込み。そう言い聞かせれば聞かせるほど不安になっていくのが私だった。

 レジで事務仕事をしていると麻紀が走ってきた。

 「純子、小池くん来たよ」

 嬉しそうな顔で、早く早く!と言った。

 「えっ」

  ドキッと心臓が波打った。

 あれからずいぶんメールはしたが、会ってはいなかったのでなんだかものすごく久しぶりに会うかのようで緊張した。

 「小池くん、こっちこっち」

 麻紀が小さく手を振った。彼は軽く会釈しながらこっちに来た。

 「どうも!いやぁ麻紀さんお久しぶりっスね」

 「本当だね。元気だった?」

 「はい!頑張ってますよ。あっ矢口さん」

 後ろにいる私に気付いて直樹は照れ笑いを浮かべた。

 「どういう関係なの?」

 私は二人の親しげな会話に疑問を隠せなかった。麻紀はニヤッとしながら直樹を見た。

 「実は小池くんってノッチの後輩なのよ」

 「え!そうだったの?」

 「ごめんごめん。別にわざと黙ってたわけじゃないんだけどね」

 麻紀が両手を合わせて謝るように言った。

 「そうなんですよ。野村先輩にはかなりお世話になりました」

 「高校の時、部活とバイトが一緒だったんだって。私も聞いたときはびっくりしちゃった」

 「だから麻紀は小池くんのこと知ってたんだ」

 「そういうこと。だから小池くんの恋愛話とかいろいろ聞いてるのよ」

 麻紀は、ねっ。と言って直樹の肩を叩いた。

 「やめてくださいよーっ」

 直樹は顔を赤くして麻紀に言った。

 「好きな子いるの?」

 私は思わず聞いてしまった。彼はびっくりした顔をして下を向いた。

 「はい。ずっと前から好きだった子が…」

 「今年中には告白するんだってさ」

 麻紀がニヤニヤしながらそう付け足した。直樹は、いても立ってもいられないというような感じで急いで麻紀にサインを頼んだ。

 「小池くん、頑張りなよっ」

麻紀はサインをした伝票を渡し、彼の背中を押した。

 「はい、頑張ります!」 

 直樹もまた、そう意気込んで急ぎ足で帰っていった。

 「小池くんって、好きな子いたんだ」

 直樹の後ろ姿を見つめながら麻紀にポツンと呟いた。

 「うん、私も何回か聞いたことあるんだけどね。彼もあんたと一緒で一年越しくらい片思い」

 「そっか」

 ものすごく沈んだ気持ちになった。直樹と出会ったのは最近だし、私のもしかしたら、は、恥ずかしながら思い込みなだけで終わった。

 中川さんの笑顔と直樹君からの可愛らしいメールが頭の中をグルグル回っていた。

 私は何がしたいのだろう。思考回路がとても低下しているように感じた。もう今は何も考えたくない。

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第六話 クリスマスのデートは・・・

 月曜日になると休日で疲れを十分癒した社会人達が凛とした表情で会社に出社する。

 社会人は仕事と遊びの切り替えが大事なんだと新人の頃言われたことがある。

 学生の頃と違って簡単に休むことは出来ないし、度を過ぎた遊びをして二日酔いになっても必ず朝の満員電車には乗り込まなくてはいけない。   

 私は切り替えが上手ではないので週明けの出勤というのは会社に行く楽しみがない限りものすごく憂鬱だった。

 頭のぼんやりが取れないまま電車に揺られ、あと一駅というところでメールが来た。

 

『おはよう。今から出勤かな?お互いがんばろう!』

 小池君からだった。

 

土曜日に交換したメールアドレスには日曜日の昼頃一通着た。

『昨日は楽しかったです。本当にありがとうございました!今度映画でも見にいきましょう。あっ俺のこと直樹って呼んでくださいね!』

 という内容だったがメールはそれっきりだった。

 

わりとすぐに返事を返したのだが、そのあとは返ってこなかった。

なんとなくつまらないと感じて何かを期待していた自分に気付いた。

一時間おきに携帯のメールをチェックしながら家でダラダラ過ごした日曜日だった。

サザエさんが始まったとたん憂鬱な気分になり、サザエさん症候群にかかってしまったと慌てて麻紀にメールした。

 

駅を降りてもう一度直樹のメールを読み返した。

最後の顔文字が直樹らしくて安心した気持ちになった。すぐに返してしまいそうになったが昨日のことを思い出して作りかけの文章を削除しバックに入れた。この行為は直樹のことが気になっているという証拠だった。

 

 「おはようございます、本日もお客様に精を尽くしてがんばりましょう!」

 「はい!」

 「日直からです。本日は…」

恒例の朝礼が始まると、わずかに残されていた『やる気』が瞬時に消耗していく。この百貨店だけでも、朝礼に二十分を越える時間を費やす部署は珍しい。すべては無駄に話の長い部長のせいだった。

朝礼が大切なのは分かるが、立ちっぱなしというのは何とかして欲しい、と、みんな参っていた。  

 「おはようございます!」

 突然、背後の扉が開いたかと思うと、元気な男性の声が響いた。

 この声は…まさかと振り返るとやはり中川さんだった。

 胸がドキッと高鳴った。

 「朝礼中失礼します。本日この部署を担当させて頂きます中川です。よろしくお願いします!」

 「えっ!中川さんと一日一緒に仕事するってこと?」

 中川さんは私の方を見てニコッと笑ってくれた。胸がキューっと締め付けられた。

 朝礼が終わると席に着き、いよいよ仕事が開始される。私はそっと中川さんの席を確認した。部長の隣だ。

部長はわざとらしい笑みを顔に貼り付け、中川さんに話しかけていた。中川さんのことを彼女が気に入っているのは、誰もが知っている事実だ。

そんな部長の隣では、さりげなく彼に会いに行くことだってデキやしない。私はシュンと肩を落としていた。

 

 「あんたサザエさん症候群治ったの?」

 「ちょっと声大きいって」

昼休みに入ると、私は麻紀をカフェへと誘った。サンドイッチを頬張りながら、麻紀は豪快に笑っている。

 「あははっ。てか純子髪型いいじゃん。バッチリ若作りできてるよ」

麻紀はアイスコーヒーでのどを潤し悪びれるでもなく、親指を立ててグーサインを出している。

 「まぁ、いいや。ありがと。そんなことよりさ、昨日言ってないことあって」

 「何なに?」

 「今日言おうと思ってたんだけど、実は土曜日さ…」

 直樹と会ったことを軽く話した。

 「うそ、マジ?」

 「うん、まぁさらっというとそんなとこ」

 思っていたよりも麻紀は驚き、興味津々な様子を見せた。

 「すごいじゃん。てか小池君なんか言ってなかった?」

 さらに身を乗り出して言った。

 「なんかって?」

 私は何のことか分からず眉を寄せて困った顔をした。

 「あっ言ってないのね」

 麻紀は、そうなの。といってつまらなそうにアイスコーヒーを啜った。

 「何よ?」

 「うふふ。なんでもないのよぉ。あんたにもいずれ分かるわ」

 フフッと笑う麻紀はどこか意味深だった。本当になんだと言うのだろう。疑問符が頭を埋め尽くすころになって麻紀は続けた。

 「それより、メールはもう返したの?」

「あっ、そうだ!忘れてた」

 「あんたって、ホント男心を分かってないんだから…」

 私は麻紀に言われて短くメールを返した。

 『こんにちは。今昼休みです!いつも朝八時くらいには電車乗ってるよ』

送信ボタンを押すと、なんだか急に気が抜けたように感じた。仕事が終わってメールが返って来てなかったら自分は経ヘコむだろうと思った。

 昼休みが終わり、パソコンを開くと一件のメールが来ていた。開くと中川さんだった。嬉しくてニヤッとしてしまった。

 

『おはよう。今日一日よろしくね。そうそう、ディナーいつにしようか?』

 メールを読んだ瞬間、体中が興奮した。

 思わず席を立って中川さんの席を見た。笑顔で部長と話していた。胸の高鳴りが大きくなり幸せな気持ちになった。

 『こちらこそよろしくお願いします。私はいつでも大丈夫です!』

 興奮状態のまますぐに返信した。

 十分後、『じゃあ、明後日はどうかな?』と返ってきた。

部長との話もそこそこに、私のメールを優先してくれたのかもしれない。

 『大丈夫です!』

 『了解。そうそう、パソコンじゃあれだし携帯の方にメールもらえるかな?』

 最後に携帯の番号とアドレスが書いてあった。中川さんの方を見た。彼もこっちを見てくれた。ニコッと笑う口元が少し震えた。

 

 興奮冷めやまぬまま仕事が終わり、携帯を見ると直樹からメールが来ていた。安心した。

『お疲れ様!そろそろ終わりですよね?俺はまだ終わりそうにないです。あの、純子ちゃんってメール嫌いじゃない?』

 敬語交じりのおかしな文章に笑ってしまった。

 『文章変だよぉ!仕事頑張って。メール嫌いじゃないよ』

 絵文字を多く使ってすぐに返した。ウキウキした気持ちになった。

 『すいません、つい…。本当?それじゃあたくさんメールしても平気?』

 五分足らずで返ってきた。

 『もちろん。とりあえず、今は仕事頑張ってね』

 『うん、ありがとう』

 日曜日メールがあまりこなかった理由がわかった気がしてホッとした気持ちになった。

 それから直樹とメールをしながら家に帰った。楽しかった。

 小一時間位して家に着き『じゃあ、これからお客さんのところいってくるね。またメールします』という直樹のメールで二人の会話は途切れた。

 携帯を充電器に挿してバックの中から手帳を取り出すとメモ書きが一枚出てきた。

 「そうだ!」

 中川さんの連絡先の書いてある紙だった。急いで充電中の携帯を外してメールを作成した。最後にアドレスを一文字ずつ入力した。

これが中川さんのメールアドレスなんだと思うと、指先が少しだけ震えた。紙に書かれたアドレスをディスプレイの上へ、一つずつ慎重に載せていく。

kou_nk/ai_kn@――― 

アドレスを打つ私の指が止まった。

彼の名前は中川晃二。アドレスの前半部分は『KOUJI NAKAGAWA』から取ったのであろう。だとすれば、後半部分も誰かの名前なのであろうか。

AI、アイ、あい、愛―女の名前…。

彼がプロポーズまでしたという、見たことのない女性の姿が脳裏に浮かぶ。しばらくの間、私はボンヤリとそのアドレスを眺めていた。

 食事がのどを通らないような気持ちになり、送信してからしばらくアドレスを眺めた。

 

 『七時に銀座の時計台の前で』

 今日はついにディナーの日だ。もうすぐ時計台の前に着いてしまう。

 ドキドキする気持ちを抑えながら落ち着いた銀座の街に浮かないよう、なるべく颯爽と歩いた。

 「矢口さん、こっちこっち」

 前を見ると黒いロングコートに身を包んだ中川さんが手を上げていた。

 「すいません!」

 私は駆け寄り頭を下げた。

 「いやいや、俺が先に来ちゃっただけだから。行こうか」

 「はいっ」

 背が高くて顔立ちの良い中川さんは銀座の街にすごく馴染んでいた。並んで歩いていると自分が妙に大人びたように感じた。

 「お酒飲める?」

 彼の問いに頷いて応えると、彼は安心をしたように微笑んだ。

「よかった、実は今日連れて行く店、お酒がすごく美味しいんだ」

「わぁ、楽しみです」

 彼は笑顔を浮かべ、嬉しそうに私を見た。

 アドレスにある女の名前が過ぎった。『ai』という女はこの笑顔を独り占めしていたのかもしれない。

 『ai』という女は中川さんのなんだったの?

待ち合わせをしていた場所から十数分歩くと、彼は一軒のレストランを指差した。

「ここだよ。さぁ、入って」

 店内に足を踏み入れると、目前にはまるで別世界の風景が広がっていた。

左右の壁をブラックライトが照らし、その脇にはブルーのライトを着飾った数十本ものホワイトツリーが等間隔で植えられていた。通路の中央には淡い黄・緑・赤の光が交互に点灯されており、幻想的に輝く『光の道』を造っている。

 「わぁーすごい!」

 「雰囲気、いいでしょ?」

 「えぇ、とても!」

黒服のボーイに先導されて『光の道』を抜けると視界が拓け、広い吹き抜けのフロアにはいくつかのテーブル席が用意されていた。

お洒落なバーといった感じであろうか。クリスマスに特有の派手で賑やかなイルミネーションとは違い、気品に溢れる大人が愛するような、繊細で、しかし力強い輝きが私たちを迎えていた。

ここへ来ているお客に目を向けると、やはり彼らは、この店の持つ雰囲気に似つかわしい人たちばかりだ。いかにも高級そうな服を、何の嫌味もなく着こなせているような人たち―――落ち着いた黒のワンピースを着ていたことが、私にとってはせめてもの救いだったように思う。

「こちらへどうぞ」

ボーイはさらに奥へと進み、彼が予約をしていた席へと案内してくれた。

 

「よく来られるんですか、ここ」

声を潜めて訊ねる私とは対照的に、中川さんはいつも通りの優しい口調で答えてくれた。

「そうだね、ここへはよく一人でも来たりするよ。ここって、周りを見てもらえれば分かると思うけど、上等なお客が多いだろ? だからこそ、ここへは一人で来る。そうすることで、いい意味でのプライドが自分の中に保てるような気がしてさ」

 「へぇー。なんかでも分かる気がします」

 自分がへこたれた時、適当な居酒屋に行くとさらにどうでもよくなる経験があったので言っている意味がすごくよくわかった。

 「気に入ってもらえたならよかったよ。ワイン飲める?」

 「あっ白なら好きです」

 「よし、じゃあ白にしようか。あとはコース頼んであるから」

 そういって彼は慣れた口調でボーイに、お願い。と言った。

そして白ワインと料理が運ばれてきた。ボーイがボトルに入れられたワインを手にやってくると、それを私たちの前に用意されたグラスにそっと注いだ。瞬間、透き通った香りが鼻をかすめ、澄んだワインの色が私の目を釘付けにする。

「ここの白ワインは格別だよ。一本くらいならすぐに空けてしまうくらいにね」

 ボーイから受け取ったワインを口に含む。よく冷やされたワインがのどを潤していくのが分かった。ほんのりと甘く、それでさっぱりとした口触りだ。

 「んー。美味しい、ホント格別ですね!」

私はきゃっきゃっとワインの美味しさを伝えた。

 「矢口さんってやっぱり可愛らしいね」

 「えっ、何言い出すんですかぁ」

 顔が火照ってきているのをすぐに感じた。

「いや、ね。感情が豊かって言うか、美味しいものを美味しい、嬉しいことを嬉しいと素直に言える矢口さんは、すごく素敵だなって思えて。一緒にいて、本当に楽しいよ」

顔は火照り、嬉しさが込み上げてくる。同時に、わずかな空調の風が、彼がつけている甘い香水の匂いを私に届けてくれた。

安らぐ香りにウットリとしながら、私はどうにか首を振って応えることができた。

 「そんな、中川さんに言われたら照れますよ」

 嬉しくて仕方なかったが上手く表現できない自分がもどかしくて仕方なかった。

それから私たちは白ワインに合うコース料理に舌鼓を打ちながら、ありとあらゆる話題で盛り上がることができた。ランチに出掛けた時以上に会話が滑らかに感じられるのは、適度なアルコールが私の緊張を解してくれたお蔭かもしれない。

そしてついに、私はその話題を持ち出してしまった。

 「あの、クリスマス。クリスマス・イブってご予定ありますか」

第五章 キュンとなる彼の笑顔に揺れる気持ち

「いらっしゃい!」

 暖簾を潜ると、店主と思しき男性の威勢の良い掛け声で迎えられた。和風造りの居酒屋は内装もシックにまとめられ、いい意味で殺風景だった。

 「どうも」

 「おぉ、直樹。彼女連れか?」

会釈をする小池くんに目を向けると、割烹着姿の彼がイタズラにニヤけてみせる。

 「違いますよー!」

 彼は顔を赤くして「すいません、実はここ前にバイトしていた店なんです」と申し訳なさそうに言った。

 個室に案内され、入ると畳の良い香りがして掘りごたつのようなテーブルに赤と白のクッションが並べられていた。

 和室にクッションなんて普通は合わないけど丸いテーブルにおいてある小さなツリーのせいかなんだか妙に合っていて可愛かった。

 「この部屋かわいいね」

 「そうっすか?なんかアンバランスなんですよね、いつも」

 「もしかしてあの人が?」

 声を潜めてさっき小池君に話しかけた男前な板前さんを指して言った。

 「そうなんです。実は」

 彼はいたずらっぽく笑って板前さんを見た。

 「なんだ直樹!早くオーダーしろ」

 「はいはい、とりあえずビールでいいですか?」

 「うん」

 とりあえずのビールと前菜を注文し、私たちはクッションの隣に腰を下ろした。小池くんの言う「アンバランスな感じ」が妙に私を落ち着かせ、まるで自宅で寛いでいるかのような気持ちにさせる。

 しばらくすると店主がビールを運び、それに少し遅れて別の従業員が前菜を持ってやってきた。

 板前さんと目が合って微笑んだ。坊主頭であごに髭が生えているいかにも強面の板前さんが恥ずかしそうに笑って見せたので思わず笑ってしまった。

 「板前さん男前なのに笑うと可愛いんだね」

 「そうなんですよ。いつも笑ってればいいのに。それいうと怒るんですけどね」

 「じゃあ言わないほうがいいっか」

「すいません」

そんな話をしながらビールで乾杯した。

 「これもアンバランスなんですけど…味だけは保証します」

ビールにマグロのカルパッチョ、それと煮物が小鉢に入っている。テーブルの上を見ると確かに変わった組み合わせだが、口に入れると不思議と違和感がなかった。

 「あっ本当。この煮物すごい美味しい!」

私が言うと、彼は優しく相槌をうった。自分が褒められたかのような嬉しそうな顔つきだ。

 「ここ料理の味は格別なんです。嫌いなものとかありますか?」

 「うーん、辛いものはちょっと苦手だけど他は特に。オススメ品お願いします」

 「わかりました。そしたら俺適当に頼んでおきますね」

 「うん」

 彼は私の好みの味付けや嫌いな食べ物などを確認し、数種類の料理を注文した。そのどれもが美味しく、そして何よりも、小池くんといる時間がとても愉しく感じられた。はじめて一緒に食事をしたとは思えないくらいに。

まだ彼のことについて何も知らない私は、彼のことをもっと知りたくなっていた。

 「そういえば小池くんっていくつなの?」

 「あっ俺は二十四です」

「そっか、やっぱりね。年下だとは思っていたけど、二十四てコトは…えっ? ちょ、ちょっと待って! 来年、二十五歳?」

 「そうです、矢口さんと同い年ですよ」

 「ごめん、小池くんいつも敬語だし、なんかすごい丁寧だから年下だと思ってた」

「そんなことないですって。丁寧な仕草を心掛けているのは当然ですよ、矢口さんはクライアントなんですから」

そう言って、ニカッと笑う小池くんの屈託のない笑みは、やはりどう見ても年下のそれに見える。

 「あっそっか、そうだよね」

 何慌ててるんだろう私。

 「それに俺って、ガキっぽいんでよく年下に見られます。嫌なんですけどね、本当は」

 「小池くん可愛いからだよ…」

 「えっ?」

ハッとした。また子供扱いをしてしまったような自分の言葉に慌てた私は、急いで口を噤んだ。

「ご、ごめん。また…」

「いえ、矢口さんにそう言ってもらえると嬉しいです、俺」

彼は照れ笑いを浮かべ、グラスに残ったビールを一気に飲み干した。私は仕切り直すように一拍置き、少し大きめな声で切り出した。

 「じゃあやめにしない?」

 「何をですか?」

「それよ、それ。敬語。せっかく同い年なんだし、ここでは敬語、やめにしよ」

「はい…じゃなくて、えっと。うん、分かった」

慣れるかな、と、小池くんは頭を掻きながら嬉しそうに呟いていた。

 仕事のことや友達のこと、学生時代の話題で盛り上がると、私たちは時間を忘れて喋り続けていた。

同い年であることが、そしてそれを私が知ったことが、話題の幅をさらに広げてくれた。好きだったドラマや音楽にも共通点を見つけ、久しぶりに再会した同級生と一緒に呑んでいるような気分になれた。

彼の経験で一番に驚いたことは、学生時代に二年間の留学で渡米をし、英語を流暢に話せるというものだった。私が最も苦手とする英語。それを使いこなせるということは、私にとって尊敬するに値した一面なのである。

私は驚嘆しながら、ふと、時計に目を向けた。

「あっ、もうこんな時間なんだ」

 「ホントだ。もう十一時過ぎですね」

 「楽しくて気付かなかった。そろそろ帰らなきゃ」

 「そうですね。残念です」

 「あっまた敬語。さっきまで普通に話せてたのに」

 二人は目を合わせて笑った。

 「あはは。ついつい、あっ送ります。目黒ですよね、俺は今日おやっさんとオールナイトなんで」

 彼はそういって板前さんを指した。

 「仲良いんだね。いいよ、寒いし」

 「じゃあ駅まで送らせてください」

 「ありがとう、じゃあ駅までお願いする」

 

 店を出ると冷たい風が二人の頬を刺した。酔いが一瞬にして醒めていく。

 「寒いね」

 「本当、夜が深くなるほど冷え込んできますからね」

街を照らしていたイルミネーションの明かりは少しずつ身を潜め、ようやく身の置き場を戻した月明かりが顔を覗かせている。さっきまでの賑わいが嘘のように。

冬の夜が持つ静けさが私たちの別れを惜しみ、二人の会話を緊張させた。

 「あっ矢口さん」

思い出したように口を開く小池くんの目は、まっすぐに前を向いていた。

 「う、うん?」

 「似合ってますよ、その髪型。すごく可愛い」

いつから言おうと思っていたのだろう。彼の立ち居振る舞いからして、そういう気の利いたことを、思ったらすぐに口にできるとは思えない。

 「ありがとう。楽しくて髪を切ったことも忘れてた」

 本当に、今日一日していたことを全て忘れてしまうくらい楽しかった。

 「あと…」

 「ん?」

 「なんでもないです。本当髪型似合ってる」

 彼の優しい視線を感じた。目を合わせたらドキドキが止まらなくなったのですぐに逸らせた。

 「この辺でいいよ。今日はありがとう」

 「こちらこそ楽しかったです」

 「じゃあまたね」

 「気をつけて」

駅の前で小池くんと別れた私は、販売機で切符を買い、改札を抜ける。と、その時。走って戻ってきた小池くんは私を呼び止め、大きな声で叫んだ。

 「矢口さん!あの、今って彼氏いますか?」

 と顔を赤くして聞いてきた。

 「いないよ」

 私はすぐに答えた。

 「そっか、よかった。あとでメールしますね」

 彼は安心したような顔をしてそういった。

 「うん。おやすみ」

 「おやすみなさい」

 私はとてもいい気分で、最終電車に乗り込んだ。

第四章 もうひとりの王子様…?

「えっ、今は中川さんオンリーだってば」

 勢いでそういったが実際は少しドキッとした。

 「いいじゃん、いいじゃん何人いてもさ。本当の王子様はどこにいるかわかんないしねぇ」

 恋愛相談をしている友達に対してこんなにもラフな発言をする友達はかつてこの女が初めてだ。

 「そんなんでいいの?」

 私は一抹の不安を抱く。

 「うん、とりあえず今は距離縮めることだね、どっちも。また教えて」

 軽くまとめられて話は終わった。

 電話をしたせいで気持ちが落ち着くどころか揺れてしまった。人は他人にいわれて初めて気付くというのが多いものだ。特に恋愛は。

 流されやすい私は今日この瞬間から二人の王子様とのクリスマスを夢見るようになってしまった。

 クリスマスまであと二週間。気合い入れて突っ走るしかないな。どうあれ今年は素敵なクリスマスにしなければ。

 

 

 暖かく気持ちのいい昼下がりの午後。休日にはぴったりの天気だ。今日は久しぶりに街へ繰り出した。まずは美容室。

 「今日はどんなカラーにしますか?」

 「うーん。そうだなぁ、なんかクリスマスシーズンっぽい可愛い感じの色ってありますか?」

 美容師に告げると、彼女は色のイメージ・カタログを見せてくれた。

 「はい、それでしたらキャラメルチェリーなんていかがですか?今年から出た新色なんですよ」

 赤っぽい茶色ベースにキャラメル色の艶感の入ったクリスマスらしい可愛い色だった。

 私はその艶感とピンク色に近いラズベリー色のグラデーションに惚れて即答した。

 「これでお願いします」

 「かしこまりました。お客様お似合いだと思いますよ。それと、艶感を目立たせるためにサイドラインを少し軽めにしませんか?」

美容師は言いながら、そっと私の髪を持ち上げた。その上に、頭の中でイメージ・カタログの色を染めていく。とても可愛らしく仕上がった。

 「はい。お願いします!」

 今の髪型は胸くらいまでの長さで前髪は斜めに流している。色も黒に近い落ち着いた色だったが今回は少し色も明るめだし軽くしてもらって前髪は下ろせるぐらいに短く切ってもらう予定だ。

 美容院にはたくさんのファッション誌が置いてあるのでこれから買い物に行こうと思っている人にとってはとてもありがたい。

 街だけではなく、雑誌の中もクリスマス一色だった。“大好きな彼の心を独り占めワンピ”、“聖夜の真っ白コーディネート”などおもしろいフレーズのものがたくさんあり、興味津々で目を通した。どのページを見ても中川さんのことを思い浮かべてしまい、ウキウキして口元が緩くなった。こういう気持ちって恋をしてる女の子の特権なんだろうな、と実感した。

雑誌をめくりながらすごく幸せな気持ちになった。

 「お客様、前髪はこれぐらいでよろしいでしょうか」

 美容師が指で前髪の長さの線を作ってみせる。

 「あっもう少し長めで」

 美容師は眉毛の下くらいまで指して「これくらいはいかがですか」といった。

 「それくらいで」

 目にかからないギリギリのところまで切ってもらった。前髪が切り終わり時計を見ると二時間以上も経っていた。あまりにも真剣に雑誌や妄想に耽っていた自分が少し恥ずかしくなった。

鏡を見ると髪の色はキラキラと赤茶に光っていて光の具合でピンクベージュやラズベリー色に見えるグラデーションが思っていた以上に美しく心が躍った。

 フラれて髪をばっさり切る子の気持ちがわかった気がする。髪だけでなく不思議と体や心までとても軽やかな気持ちになった。

 「可愛いですね」

 思わず口に出た。

 「ありがとうございます。とてもお似合いですよ。すごく印象も変わりましたしね」

 美容師も満足そうに純子の髪をいじった。

 「矢口様お疲れ様でした。少し巻くとこんな感じにふわふわ感が出ますのでぜひやってみてくださいね」

「わぁっ、本当ですね、ありがとうございます」

美容師はコテで軽く巻いてくれて雑誌に出てくるようなふわふわとした髪型に仕上げてくれた。

最後にワンポイント・アドバイスをしてくれた美容師にお礼を言い残し、私は会計を済ませて美容室をあとにした。

 今日の美容室はかなり高得点だったように思う。美容室やネイルサロンで満足のいくサービスを受けたことのなかった私には、というよりも、嫌な思いをさせられることの多かった私にとってこの美容室は、思いがけず嬉しい出逢いだった。

 毛先のふわっとした髪を満足気にいじりながらデパートへ向かった。

  その足取りは自分でも驚くほど軽やかで気持ちがよかった。

 

 天気がよかったせいかデパートの中は人がとても多かった。

 緑と赤のラインを交互に折り合うクリスマス・カラーが店内を装飾し、買い物客の心を浮かせ、財布の紐を緩くさせる。

腕を組んで歩くカップルや、子供を連れる若い夫婦、孫のプレゼントを探しているといった様子でおもちゃ売り場を散策する老父。彼らの表情は、みな、活き活きとしていた。ここにいる誰もが幸せそうな顔をし、思い思いにショッピングを楽しんでいる。

ふと私は、アクセサリーショップで指輪を選んでいる学生らしきカップルに目を留めた。

彼らの手はぎこちなく握られており、その光景は見るだけで心を温かくさせた。まるで互いの肌から伝わる体温を、その手の中に確かめ合っているようだ。

とても愛おしい。

私は思わず、中川さんの手をそっと握った。彼の手の感触に思い膨らませ、彼の放つ温もりを想像する。自然と、笑みがこぼれていた。

 聖なる夜の訪れが間近にまで迫っていることを、改めて実感した。

 

 「いらっしゃいませ」

 店員がニコっと微笑み、ワンピースコーナーにいる私に今売れている品々を紹介した。

 「今注目のワンピースはこれです」

 店員は自信満々にワンピースを広げて見せた。

 「あっそれ見ました」

 純子が一番可愛いと思っていたワンピースだった。

 真っ白で膝より少し上のワンピース。裾に雪の結晶や星などキラキラした刺繍が入っていて袖はふんわりとしたパフスリーブがいかにも女の子らしい。

 「さすがお客様!こちらの商品本当に売れていてもう出ているだけなんですよぉ」

 店員が甘い声を出して色違いを出してきた。

 「赤と白なんですけど、お客様でしたら白がお似合いかと思います。色白ですしヘアカラーがピンク系なので白のほうが絶対映えますよ」

 「白のワンピースなんて着たことないんですよね」

 私は不安そうに言った。白は膨張色だし、なにより白のワンピースを堂々と着ることに自信がなかったのだ。

 「本当ですか、もったいない。ぜひご試着だけでもしていってください」

 そういって店員は強制的に試着室へ私とワンピースを招いた。この人は店長なのかもしれないと勘ぐった。

 試着室で改めて着てみると可愛すぎると思っていたワンピースだったが裾の雪色と白の刺繍、胸元のジュエリーがワンピースを上品に魅せていた。確かに髪の色ともばっちり合っている。

 「お客様いかがですかぁ」

 カーテン越しに店員の甘い声が響いた。

 「はい」

 カーテンの外に出ると店員は待ち構えていたように「わぁ!やっぱりすごいお似合いじゃないですかぁ。可愛いですよ」といった。

 「そうですねぇ。意外に可愛すぎないし、いいかもしれない」

 「そうなんですよ。なのでこれにファーなど付けて頂いたらパーティードレスとしてもお使い頂けます」

 一枚あればいろいろ使えるし買っちゃおうかな。鏡に映る自分の隣に中川さんを置いてみた。すごくお似合いだった。

 「よし、買います!」

 「ありがとうございます」

 力が抜けたのか安心したのかわからないが店員は落ち着いた面持ちで深く頭を下げた。

 「お会計が三万六千円になります」

 「えっ!は、はい」

 思わず声を出してしまった。コートと同じくらいの値段のワンピースだったなんて。深くお辞儀をした店員の態度が今になって分かった気がした。でも中川さんを隣に置いたらピッタリだったんだから買って損はなしのはず。ストラップシューズにしようかブーツにしようか考えながら店を出た。編みタイツもいいかもね。

 

 

 

両手にいっぱいの荷物を抱えてデパートを出るころには、辺りはすっかりと暗くなっていた。月明かりは薄い雲の中に隠れ、その代わりに街路樹やほとんどの建物を、キラキラと光るイルミネーションが鮮やかに彩っている。それと共に賑わう街のざわめきが気持ちを高ぶらせた。

 どこかでご飯でも食べて帰ろうと思っていたのでイルミネーションを見ながら考えた。

 「どこもいっぱいだなぁ」

 この時期の休日に一人外で夕食なんてよく考えればカップルだらけのお台場に一人で行くようなものだった。

 「矢口さん?」

 『ラストクリスマス』のBGMが流れている大きなツリーの下で立ち止まっていると、その隙間からかすかに声が聞こえたので辺りを見回した。

 「やっぱり矢口さんだ」

 後ろを向くと走ってきたのか息を切らしている男の子が現れた。

 誰だっけ…。

 ニットの帽子を目深にかぶり、黒のダウンにジーパン姿の可愛い顔の男の子が立っていた。

 「矢口さん、俺ですよ。印刷屋の小池です」

 「あっ」

 「矢口さんまた忘れちゃったんですか」

 冗談っぽく顔を歪める彼に、私は慌てて首を振った。

 「ち、違うの。私服見るの初めてだったから…」

 彼が小池君だと気付いた途端、大好きなクール系の香りが鼻をかすめた。

 いつもは童顔の彼がなんだかとても大人びて見える。

こんなにかっこよく見えるのはイルミネーションのせい?ツリーの明かりが彼の少し茶色がかった髪とぱっちりとした瞳をキラキラと輝かせていた。

私の鼓動は速さを増していた。

 「矢口さんとこんなところで会えるなんて嬉しいっス」

 彼は恥ずかしそうにそういった。

 「あっもしかしてこれからデートですか?」

「ううん。さっきまでデパートにいて。これから一人ディナーでもしようかなって思ってたとこ。でもやっぱり一人だと入りづらい時期よね」

 周りの店をもう一度見渡した。やはりいっぱいだった。

 「本当ですか、もしよかったら一緒にどうですか?」

彼は頬を赤らめ、再び帽子を深くかぶった。思いがけない展開に少し動揺はしたが、なんだかとても嬉しくなった。

 私は動揺を隠すように落ち着いた口調で言った。

 「私はいいけど小池君こそ約束があったんじゃないの?」

 「いやいや俺は全然。一人で映画見た帰りなんで。本当にいいんですか?」

小池くんはそういうことには慣れていないといった感じで、私の荷物を手に取る。

彼に、恋人やその候補と思われる女性はいないようだ。さっきから落ち着きのない様子の小池くんは、私の見慣れた彼に戻っているように思えた。それが可笑しくて、私は思わずクスクスと笑ってしまった。

「あの、なんか変っスか、俺」

「ううん、違うの。なんだか可愛いなぁって思えて」

「えっ?」

私の言葉で一層、しどろもどろとする彼の手を引いた。

「行こっか。小池くんの知っているお店、連れてって」

「はいっ!」

彼は大きく頷き、満面の笑みを浮かべていた。